平成21年度を終えて
支部長 榊原邦彦
車を走らせる街の陽ざしにも春を感じられるようになりました。時の過ぎゆく速さはよく言われることですが、本年度の事業を終える時期を迎え、日ごろの会員の皆様のご支援、ご協力に深謝し、心よりお礼申し上げる次第です。
さて、今年度を振り返ってみますと、まず、建築士制度の見直しによる士法の改正や新法ですがあげられます。主なものとして住宅瑕疵担保履行法や構造一級建築士、設備一級建築士制度の施行。長期優良住宅普及促進法や対象建物範囲を広げた改正省エネルギー法施行など。
(社)愛知建築士会においては、平成22年度に向けて公益社団法人への認可申請中。また平成22年度より会員会費の納入先が半田支部から本会に変わると同時に、納入方法が会費自動引落し制度に移行すること。
そして半田支部は、会員への情報発信として、支部のホームページの大幅更新と士会会員へブログによるお知らせや報告、また半田支部メール会員へ支部常議委員会の報告の送信を始めました。
新しい地域貢献事業として、平成32年度を目標にした「半田市都市計画マスタープラン策定」の委員としてまちづくりに参画、また、半田市の生涯学習ボランティア制度のゲストティーチャーとして、宮池小学校4年生に、「人にやさしい街づくり」について建築士の取組みや、整備のととのった施設の具体例などを授業で説明したことなど。(これはなかなか好評だったようで、苦労して資料を作ったかいがありました。)
以上思いつくまま述べましたが、今後の公益社団法人にむけて半田支部の課題は、組織の見直し、財務運営、会員数の維持など考えられますが、これは次年度に託したいと思います。
平成20年2月25日、半田市において運河サミットが開催された。
宮崎県日南市、北海道小樽市の両市長をはじめ関係者多数が半田市においでいただいた。この三都市には、古い運河が残っており、レンガ等を用いた歴史的建造物が立地しており、映画のロケ地として使われるような美しい景観を有しているという共通点がある。
三都市の関係者は、それぞれご自分の都市の実情を詳しく説明され、今後このすばらしい資源をまちづくりにどう生かしていくかということを熱く語り合った。特に、日南市の油津地区にある堀川運河は、1600年代に飫肥杉を油津地区に運び入れるために作られた運河で、歴史的にも半田運河とよく似ている運河である。油津が最も栄えたのは、明治後期から大正、昭和初期にかけてのことで、とりわけ江戸後期に大規模な植林が行われた飫肥杉が、この時期に盛んに伐採されたため、堀川運河の両岸は弁甲材(飫肥杉の両面を面取りしたもの)が所狭しと積み上げられ、国内はもとより、台湾や朝鮮半島、中国大陸まで輸出されていた。マグロの水揚げも東洋一を誇り、人口も倍増した。
現在では、住民の高齢化と商店街の衰退により、当時の繁栄はみられないけれど、基本的な町割りは変わらずに、杉村金物店、油津赤レンガ館、堀川橋など国の登録文化財21件をはじめとして、多くの建造物や史跡が残っている。
2月のはじめに、ひさしぶりに油津を尋ね、旧友たちと運河、赤レンガを含めた、まちづくりについて語ってきた。半田と同じような歴史を持った仲間たち。これからどう自分の住んでいる町を作っていくかということを夜のふけるまで飲み明かした。我々は、かつて舟運で活気付いていた往時のように賑わいのある運河を再生することで、半田運河を核として知多半島全体が活性化することに、力を注がなくてはならない。
耐震改修相談事業について
木造住宅断特別委員長
成田完二
木造耐震ネットワーク知多で今年度取り組んだ耐震改修相談事業について報告します。
本会の地域貢献活動センターの助成金をいただき、阿久比町をはじめ、半田市、東浦町で耐震改修の相談会を行いました。また、2月には美浜町から予算をいただき実施します。 阿久比町は事業予算からDMの郵送費を出し、町から発送し相談を受け付けました。10月17日、18日(土、日)の両日の午後1時より5時まで、役場の隣、中央公民館で4名の相談員で対応しました。一人1時間の相談を二日間で31件受けました。
半田市は10月31日(土)、10時より4時まで、半田市役所南口玄関ホールにて行いました。庁舎が休みのため、市民課の前に臨時に机を出して会場を作り、4名の相談員で対応しました。相談は14件でした。
東浦町での相談会は11月28、29日(土、日)、1時より5時まで、東浦町文化センターにて二人の相談員で11件の相談を受けました。
阿久比相談会
阿久比町はDMを出しましたが、半田市は広報誌と回覧板、東浦町は広報誌のPRでした。やはり、耐震診断を終えたかたに直接役所から届くDMは効果が高く、相談者は多くなります。また、相談の後、実際改修につながった例は複数報告を受けています。
今年度行わなかった大府市、武豊町は来年度早い時期に相談会を計画しています。当支部が診断を受け持っている2市4町はこれで相談会を開く体制が出来てきました。残る南知多町と受け持っていない知多西部3市にどう広げていくかがが今後の課題になります。
今年は阪神・淡路大震災から15年の節目で、カリブ海のハイチに大地震が起き、次は東海・東南海地震かと思われる今日です。少しでも耐震改修を進め、安全な街を造ることが求められています。今後もみなさんの協力をお願いいたします。
(活動はブログで公開しています http://blog.taishin-chita.net/)
平成21年度家族親睦会
IN 美浜海釣りパークと魚太郎
親睦委員長 角岡恭行
平成21年11月8日(日)に家族親睦会を美浜釣りパークにて執り行いました。
当日は天気も良く絶好の釣り日和となりました。午前中2時間とちと短めですが釣り大会スタート!ですがみなさんのんびり釣り堀を楽しんでおられました。
私の感想ですが日ごろからやってないと、なかなか釣れないですね、何人か釣れている人がいましたけど、やっぱりもう少しぐいぐい来てほしかったですね。船釣りも考えましたし陸釣りも考えましたが、「釣れなかったらどうする」との意見もありましたので、釣り堀にしましたが、釣れませんでした。本当に釣れなかった人、ごめんなさい。またまた企画倒れでした。
そしてまた、無限ループにはまる…空回りする…毎年こんなことやっています。
親睦委員会の存在意義を問うことは、建築士会の存在意義を問うことと似ています。
建築士は例外なく孤独です。仕事に対する対価であるため、常に自身を検証し、芸術性が問われ、信頼性を問われ、施主には監視され、責任を問われ、プレッシャーをかけられ、心身とも疲弊しがちです。建築士どうしはライバルであるのが恒であり、毎日が切磋琢磨です。このストレスにあふれる職業で福利厚生の充実がなければどう生きていけばいいのですか?建築士の多くは個人設計事務所であり、会社でも責任ある立場の地位で仕事をされている方がほとんどです。
社会的に地位の高い職業なのです。そんな孤独な男女が、どこに癒しを求めればいいのですか?家族の幸せをどう守ればいいのですか?大好きな建築を語らう友がどこにいますか?若い建築家がチャンスに恵まれ、勉強でき、語らいあえる機会があるのはどこですか?公益法人とかNPOとか形にこだわることは建築士や建築家のためになるのですか?だれが作って、誰が壊すのですか?親睦委員の存在意義は何ですか?建築士会の存在意義は何ですか?何が尊くて誰が偉いのですか?その人はちゃんとその人たちの意見を組み入れていれて答えを出したのでしょうか?セーフティーネットはちゃんと作っていますか?常に自身と団体を検証し、冷静に見つめ、哲学を持ち、温情を与え、ヒューマニズムを理解し、個人、団体の利益の大小を検証してほしいと思います。
平成21年度研修旅行を振り返って
研修委員長 江崎辰己
▲ランドマークタワー
▼馬車道駅 内藤廣
今年度の研修旅行は、横浜開口150周年にあたる年ということで、「横浜開港150周年記念/横浜・横須賀の名建築めぐり」と題して、平成21年10月25日(日)・26日(月)の二日間、観光バスで横浜・横須賀方面へ行ってきました。
今回は、総勢24名の研修見学旅行となりました。
1日目は朝早く半田で集合した後にバスで横浜まで移動、昼ごろ横浜のホテルに到着して各自自由見学としました。みなとみらい地区方面へ行って近代建築や地下鉄みなとみらい線のデザイナーズステーションを見に行く人、鎌倉方面まで足を延ばす人などそれぞれが興味のある街並みや名建築を目指して歩き廻りました。
台風20号の影響で風が強く肌寒い天候でしたが、なんとか夜まで雨が降らずにもってくれたことで各々が計画していた目的地を廻ることができたと思います。
2日目は、台風20号の影響をまともに受けてドシャ降りの中、集団行動で横須賀美術館(山本理顕設計工場/2006年)を見学に行きました。集合写真はエントランスの石碑のところを予定していましたが、残念ながら玄関ホールでの撮影となりました。
平成21年度前期事業東海分科会松阪大会に参加して
青年部長 榎本年克
昨年の6月27日に三重県松阪市の松阪市産業振興センターおいて、平成21年度前期事業東海分科会松阪大会が開催されました。
ウォークショップで御城番屋敷(改修中)〜松阪城跡〜本居宣長記念館・鈴屋〜歴史民族資料館〜三井家発祥の地〜松阪商人の館〜本居宣長宅跡地〜長谷川家〜松阪木綿センターを訪れました。
御城番屋敷は松阪城の二の丸跡近くの櫓跡から見下ろすと真下から南に延びる石畳の通りに面して両側に東側10戸、西側9戸からなる長さ約90mの2棟の長屋が連なる一画があります。
明治になり、武士階級が離散するなかにあって、合資会社苗秀社をつくり、ここに住んできた自分達の生活環境と気概を守り維持してきた人達にゆかりのある人達が今も生活しているそうです。
松阪城跡は、紀州藩領下の松阪城に関して、江戸時代前期の史料には正保元年(1644)に天守閣が風のため倒壊して土台だけになったと記されています。
その後、寛政6年(1794)には二の丸に徳川陣屋が建てられているが、これは明治10年、失火により惜しくも焼失し、残っていた他の表門、裏門、中門、土蔵等も明治14年頃までには取り壊されました。
当時の城中の建物としてはもと隠居丸にあった米蔵のみが、現在、殿町御城番に残っています。
三井家発祥の地では、三菱は坂本竜馬や岩崎弥太郎などが原点ですが、三井はこの場所に店を構えた「三越」の創業者、三井高利(たかとし)が原点となります。
次に訪れたのは、本居宣長宅跡地で本居宣長は享保15年(1730年)松阪の木綿商人の家に次男坊として生を受けた。しかし商売には向いていない気質であったため、母親は宣長に医者になるよう勧め、22歳にて医学勉強のために京へ出ることになる。そこで儒学者である堀景山の下、儒学や漢文学を学んだ。同時に日本固有の古典学、つまり国学にも興味を持ち始め、松阪に戻った宣長は開業医を営みながらも日本書紀や源氏物語など古典文学の研究に勤しんだそうです。
歴史的建造物の多いこの松阪をめぐり、大変充実した前期事業東海分科会でありました。
昼から建築展にいって、夕方6:00から建築士デー参加
建築展に昼から行きました。今年の建築展は何か面白いものは、これといって目新しいものはないと思いました。講習会が多いなと思いました。
最近読んだ本の中に「発見力」と言う、本を読みました。
発見力=ものが見える力
同じものでも見える物が違って見えると書いてありました。
建築展も関心事があったらもう少し違った、建築展になっていたのかなって、思いました。
先ほどの本の中身で、看板を見る行為で(コンビニ)セブンイレブンの文字「7−ELEVEn」の文字の最後がnだけが小文字なっていたりロ−ソンの看板の中に牛乳のタンクの絵が描いてあるもの、それからSTATIONと書いてあるのも見えるはずです。
関心を持つということが、生活の中や、仕事の中で大事なもの見せてくれる、建築の仕事に就いていると、お客様から大事なお金を預かり建物を建てる仕事を当たり前の様に、仕事しているが、とても大変な仕事していると自覚を持ってやっていきたいなと思いました。
建築士デー半田支部は毎年同じ顔をぶれで、ここは安心できます。
H21年度女性部活動について
女性部部長 岩川泰子
聴竹居
第1回交流・研修会は、10月21日(水)に秋晴れの下、参加者5名で京都を訪れました。
京都駅から市バスに乗り、日本を代表する名園『桂離宮』へ、桂川沿いには、地面からはえている生きた竹を編んだ「桂垣」が美しく隙間なく続き、垣根が風格を感じる「穂垣」に変わると、やがて参観用入り口が見えてきます。苑内をガイドの案内の下、約1時間参観をしました。回遊式庭園は、歩くごとに刻一刻と表情を変え、同じ景色を見せないよう、巧みに計算されていました。
桂離宮の全景が眼前に広がる、州浜まで歩くと、澄み切った池にきらきら輝く水面の照り返し、緑も目にまぶしく、美しい感動的な景色に心が洗われる思いでした。午後は、大山崎町の『聴竹居』へ、80年以上前に建てられた、環境共生住宅の先駆者的存在の建築です。床下から採り入れた風を屋根裏に送る、空気の循環システムや、夏の遮熱・冬の日当たりなど様々な配慮がされているところを見学しました。
プリザーブドフラワー 完成
室内は和と洋が調和したデザイン、部屋はそれぞれ目的が与えられ、その目的にあったしつらえ(造り付けの照明・家具・収納)が細部に亘りデザインされていました。そして、この時代に、既に敷居は床面と同一のバリアフリー、冷蔵庫やシャワー、メーターモジュールの採用など、時代を先取りした感覚に驚きました。
第2回交流・研修会は、2月5日(金)に、東海市で『プリザーブドフラワー体験レッスン』を行いました。「プリザーブ」(preserve)とは英語で、「保存する」の意味で、美しい姿で長時間保存することが出来るように加工された花を用い、ブーケや花器を使ったアレンジを自由な配色で楽しみました。花に接し癒されリフレッシュできました。
次年度は、『パース着彩講習会』『京都研修』を予定しています。参加よろしくお願いします。