カローリング大会 カローリングと初めて耳にする方、どんなイメージを持たれますか?3年前長野にて開かれた冬季オリンピックでテレビを通してごらんになった方もいると思われますが、オリンピックの競技の中でもどちらかと言えば地味な競技なので、話題性はあまり無かったかと記憶してます。 当時日本の金メダル候補の競技だったと思いますが?それは『カーリング』です。氷の上を漬物石に似た丸形の石を25メートルくらい離れた的に滑らせてできるだけ中心によせ、中心に一番近いチームの勝利となります。 それを体育館の床に場所を変え、石をローラーの付いたゴム製のジェットローラと言う物に変えて。的はダーツの的をイメージして下さい。それを床に置いて中心に一番近いチームが勝利となり、それに応じた点数が加算され、正式には6イニングを行い、トータルの点数の多いチームが勝利となります。 イメージはつかめましたか?競技選考のきっかけは、手島半田支部長がカローリングの経験があり知り合いの方が器具を保有しているので、容易にリースでき、又一番の要因は初心者並びに老若男女を問わず、誰もが同じ条件で競技が行えるところにありました。 参加人数は32名(大人22名子供10名)で、チーム構成の基本は家族対抗の予定でしたが人数の都合上、家族のチームと個人で参加された方同士を組み合わせて行いました。 丁度半々のチーム数になったのですが、結果はなんと一位から四位の内、家族組が3チーム入りました。 後で聞いて見ると小中学生のお子さんの活躍が大きかったようです。 そしてはえある優勝者は半田支部青年部長の北村さんファミリーとなり、折りたたみ自転車(ちなみに当日30台限定品を早朝より購入して来ました)を受賞されました。 ”おめでとうございました” 大会終了後、前日の雨予報にもかかわらず晴れ間の中でバーベキューを行い、なごやかな雰囲気の中閉会しました。 私自身、初めてでもありましたが十分楽しませて頂きました。次年度も自分が担当で企画いたしますが、今回参加できなかったご家族も是非、次回の参加をお願い致します。 第43回建築士会全国大会 中心会場となったのは米子市内にあるコンベンションセンター“ビッグシップ”(設計:(株)佐藤総合企画)である。
米子コンベンションセンター<ビッグシップ> さて今回の全国大会にはもう一つの目的がありました。平成12年10月6日に鳥取県西部を襲った大震災の状況視察であります。 そんなわけで交通手段は車を選び、名神、中国、米子自動車道をドライブがてら、中国、山陰地方の豊かな自然を満喫しつつ米子に着きました。 目的である全国大会への出席を終え、震災の中心地である境港市へ向かいました。 港湾施設(埋め立て地が中心)では、液状化現象が所々見られ、また一部柱が傾斜した上屋、使用不可能になり修理中の施設がありましたが、思ったより被害が少なく、人口密度の低さ、地盤の良さ等、震度6の地震の割には披害が軽く済んだ様に思われる。 この様な状況に接すると、我々建築しが持っている社会的使命を痛感せざるを得ません。 また建築基準法が改正された中、自分自身に問題提起しなければならないと思いました。 第二の建物づくり 平成12年10月31日に竣工を迎え、宿泊訓練施設は『さくらんぼ』グループホームは『しゃせんぼ』(どちらも樹木の名前)と、それぞれ名前が付けられ、『さくらんぼ』では家族の皆さんにとって子離れを経験し日々の介護からも開放され、ほっとするひとときや、子供の将来を見つめ直す時間として又、日中の活動では知り得ない家庭での生活の一端を知り、一人一人に合った生活支援を充実していくことが目的であります。 『しゃせんぼ』では知的障害のある方々が共同生活し、地域の中で暮らすための自分自身の『家』とし、そこからそれぞれが独立した生活を目指すものです。 工事中においてはみなさんも経験があると思いますが、改修工事に付き物であります図面なき現場合わせが多々発生し工事金との調整に苦労しました。 特に設備に関しては既設材料の劣化や新設機器の構造変更により取り付けができない等、解体しないと解らない部分が殆ど使用できないものとなっていました。 今の時代、建築業界(特に住宅部門)は消費者受けのする低コスト・工期短縮・デザイン性重視といった表向きが良い部分に力が注がれている傾向にあると自分自身感じているのですが、これからの時代は、人に、環境にやさしいと言われる中、建物を造る側に於いては、建物そのものにやさしさを取り入れたいものです。 数十年経てば何らかの補修改修が必要になりますが、その時に容易に又、必要最小限に工事が済むように設計者の立場で考慮したいものです。物を長持ちさせることの大切さを今回の工事で改めて感じさせられました。 共同住宅であったこの建物がこの様な施設に生まれ変わり、さまざまな人たちに利用され新たな世紀へと開かれました。 青年部会と私 半田支部の青年部長になって2年が経った私ですが、30年前と言えばまだ10歳(私事、当年厄年の数え年42歳)、小学生でいえば4年生といったところでしょうか、きっとその頃の私といえば毎日が遊ぶ約束を友人とすることが日課の、当時ならばどこにでもいる少年(悪ガキ?)で、まさか将来建築を職業にするなんて事が頭の片隅にでもあるわけもなく、せいぜいそれらしいことといえば、裏庭に悪ガキどもと「秘密基地」と称して、人が数人入れるほどの大穴を掘り、実践的ものつくりを体験していたことくらいが現在につながることだったかもしれません。
半田支部青年部会の誕生は確かなところを確認しているわけではありませんが、本会青年部会の創立から10年ほど経ってからのように聞いています。その頃の私はといえば、20歳、一応建築への道に最初の一歩を踏み出し、在京の其大学学建簗学科の学生だった頃のわけですが、とても優等生と言うには程遠く(劣等生に近いと言った方が適切か)、大学で建簗学を学んでいますと言ったら聞こえがいいじやないの程度の、まだまだ将来の進むべく道がこの道なのか分らぬままに、ただ、故郎を離れ、学生をしていられることに意義を感じていただけの頃だったかもしれません。
21世紀を迎え、青年部会は県内すべての22支部で活動し、本会青年部会の役員は100名を数えるほどに成長しました。
パソコン利用術(2) 成田完二 データをしまうところはハードディスク(HD)など内部記億装置と、フロッピーディスク(FD)、MOなどの外部記憶装置です。 HDは外から見えないので、「パソコンに入つている」と思っているに違いありませんが、正しくありません。 これからは「HDに入れてある」と格好良く言ってください。 最近のHDは大容量で10GB(ギガバイト)以上が当たり前になってきました。 これは文字ばかりにするとA4で200万枚以上、FDにして約1万枚の大容量ですから、よほど整理が必要です。
HDを一つの倉庫とすると、フォルダ(ディレクトリ)という部屋に分けて、さらにその中をまた、フォルダに分け、またその中に…と分けていきます。そのフォルダにはわかリやすい名前を付けます。
例えば
また、データのバックアップは時々行いましょう。 |