知多半田駅前まちなみデザイン提案 それが駅前広場や道路等の整備、住宅の建てづまり、また老朽化といった住環境整備の遅れによる人口の流出、あいつぐショッピングセンターの郊外立地等で、多くの他都市と同じようなドーナツか現象が起こり、かつての活力が大きく失われてきました。そこで将来に向けて再び活力ある豊かな街づくりを目指し、この事業は始められたのであります。 私が建築士会半田支部「まちづくり特別委員会」を代表して、この地域の3商店街のメンバーで構成される「知多半田駅前商業開発準備組合」の要請を受け、建築アドヴァイザーという肩書きにおいて、市民の目から見た地域の建築専門家として、ともすれば意思の疎通を欠きつつあった行政サイドと地権者サイドとの接点としての役目の担い手として、街づくりに参画して、早3年を経ようとしています。 我々は過去にも支部事業においては、いろいろな手段において、街づくりに関する提案をした実績がありました。 そしてそれらはその都度、理想像としては皆すばらしい提案だと思っていました。が、反面その実現性という点においては非常に乏しい事実は否めませんでした。 しかし、今回の我々の役割は思っていた以上の重要な役割を占め、やればやる程、すばらしい街づくり形成に向けて確固たる力となって実現してゆく手応えがひしひしと感じられています。 この間、それは各種の調査に始まり、その要素の十分な分析、研究等、今まで私個人が業務とした枠をはるかに越えたより幅の広い知識、逆転した視点の経験等、非常に貴重な体験の連続であります。 その結果我々は「明日のにぎわい性のある緑豊かな街づくり」、そして「伝統を生かしつつも半田独自の未来に向けた街づくり」の設定、そしてそれを具体的に建築及び都市形態としての提案、また泉線計画においては街路灯の設計・デザインも提案させていただきました。 これからも支部会員400余名の代表として自覚のもと委員一同、よりよい街づくりの実現に向けて、より一層の努力と活動を続けますので、ますますのご協力をお願いいたします。 研修旅行−舞鶴〜金沢−赤レンガ建築を訪ねて 研修見学委員長 梶 川 幸 夫 平成9年度の研修見学会が去る7月19日の1泊2日で30名の会員の方が参加されて開催されました。 初日は、舞鶴市役所土木建築部建築課の矢谷様のご努力により赤レンガ倉庫群(旧海軍が建設したものを中心に多くのレンガ建造物が現存し、風雪を経た赤レンガの歴史を感じる)の見学と、野外特設ステージによるジャズライブ(1部:鈴木重子with VIVACE 2部:日野元彦セクステット)を楽しみました。演奏がレンガ造の倉庫の間で共鳴して、エキゾチックな雰囲気をかもし出していました。 翌日は金沢市役所古村様のご協力により、金沢市民共術村(昭和初期に建設された旧紡績工場を改修整備して、芸術・文化の振興に役立つ施設に活用する)を隅々まで説明していただきました。 この研修見学会をおえて、レンガ造の設計を依頼される施主はいないと思いますが、旧カブトビールの赤レンガ広場の活用方法の構想も広がって来たと思います。このように、一般の研修見学会のように温泉で1泊して帰るというような旅行ではありませんので、次回の研修見学会も会員の皆様お誘い合わせの上、是非ご参加して下さい。 青年部長 杉田純一 (社)愛知建築士会半田支部第一回広報誌発刊おめでとうございます。青年部を代表しまして、青年部活動日誌を掲載させていただくご配慮を大変光栄なことと感じております。(できれば逃げたっかた) 半田支部青年部は、支部はもちろんのこと本会においても過去(年寄りという意味ではありません)の諸先輩方の実績により、大変多くの要職を戴いています。たとえば、平成9年度では、スポーツ委員長・副委員長・文化室副部長と頭のあまり使わない委員会を一手に引き受けています。そしてその筆頭が、私、杉田です。 それでは、本年度青年部の活動を紹介させて戴きます。本年度の青年部の基本方針は、まずメンバー間のフレンドシップの充実を掲げ、月に一回の青年部役員会では、新入会員だろうが古株(一番私が古株)だろうが思った事を言い合える雰囲気で会議を進行し、会議後には飲み会を100%企画しました。従来の会議(半田支部も若干そうですが)では、知っとる人は知っとるけれど、一年間会議に出ても、一度もしゃっべた事もない人がいるようでは、ちょっとした用でも「欠席しちゃお」と思うのが普通だと思います。 その雰囲気を一掃しようと考えて飲み会の企画をしています。ただ、青年部というのは、実社会では実践部隊であり、まだまだ勉強中の身で、思うように活動が出来ないのが実状であります。 こんなところで愚痴ってもしょうがないので、これくらいにして本年度唯一青年部として、半田支部ここにありと言わしめた事を最後に紹介させて戴きます。 それは、2月に行われた愛知建築士会支部対抗ボーリング大会においてぶっちぎりの団体優勝をした事です。 メンバーの紹介をすると手前みそになりますのでやめておきますが、長い半田支部の歴史の中で、初めてだと記憶してます。(過去の青年部長マイッタカ) だらだらと、何の脈絡もなく書きましたが一年間青年部の活動に協力並びにご理解をして戴いた皆様方に深く感謝をして筆(キボードでした)を降ろしたいと思います。 平成10年度も同じ考えでガンバロー
゛時をこえるまちの息吹 …赤レンガ″ すでに東京の恵比寿ビール工場も、大阪のアサヒビール工場も取り壊され、現存する煉瓦造ビール工場はここだけとなった。 戦後は日本食品化工(株)のコーンスターチ原材料倉庫として使用されていたが、1994年の工場閉鎖にともない取り壊されようとしていた。 それを聞きつけた日本中の赤煉瓦建築の専門家たちは調査団を組織し、最後の学術調査を実施した。 特に金沢学院大学の水野信太郎助教授をはじめ、全国各地の赤煉瓦ネットワークの関係者が半田に集結した。ところが現在半田工業高校の教諭である竹内尊司先生の修士論文で明らかにされているように、大変貴重な建物であることはすでに証明されていた。 半田市は昨年この建物を含めた約1万坪の土地の取得を決め、土地建物の活用を検討する市民レベルでの委員会を組織したのである。 我々愛知建築士会半田支部も、竹内先生を招き赤煉瓦フォーラムを開催し、多くの市民にこの建物の重要性を訴えてきた。 さて、20名の検討委員と37名の調査検討部会員が、1年8ケ月の歳月をかけて調査検討した報告書がやっと出来上がった。 昨年は半田市と名古屋大学との共同調査である「旧カブトビール工場構造調査、診断報告書」が提出され、ハーフティンバー部分の補修や、壁量不足等々の補修工事を早期にやらなければならない事も検討された。 赤煉瓦建物は、文化、芸術、市民活動の拠点として、また半田産業史のシンボルとして保存活用し、「産業とアートの創造空間」としての施設となるよう提案された。もちろんその中には、「時をこえるまちの息吹」を感じるビアホールがなければならない。なぜなら、妻木とビールと赤煉瓦は一体であり、「本物」「一流」であるからだ。 また跡地には商業集積、新産業の創出、研究等々の機能をそなえた新しい施設を建設し、新旧の建物とマッチした公園をつくる提案がなされた。 いずれにせよ、こうした大きなプロジェクトが提案されたわけで、我々建築にたずさわる者としては、まちづくりの一環として、今後とも関わっていかねばならない。昨年には、この赤煉瓦たてものを愛する市民グループ「半田赤レンガクラブ」が結成され、全国の赤煉瓦ネットワークの仲間から、熱いメッセージが届いている。 我々建築士会のメンバーの情熱がこの100年の歴史を見つめてきた建物に伝わっていくよう努力せねばならないと思う。 新年互礼会を開催して 今年の新年互礼会の反省事項 ○ 良かったこと(委員長の主観) ・コンパニオンに品があり可愛かったこと ・ボーガンダーツがおもしろかったこと ・予算内に納まったこと ・各テーブル内で親睦が計れた ・司会が上手であった ○ 良くなかったこと ・鏡割りでます酒に塩がなかった ・会員の新たな出席者の開拓があまりできなかった ・来賓の方が少なかった ・料理が少なかった(予算の都合上) 委員会メンバーに恵まれ、ご協力していただき新年互礼会を開催できたことを感謝しています。
本会出向、頑張ってます きっかけは青年部会に出向したことでした。そのうち青年部の広報担当になって編集委員会へ。副部長になって理事になり、また青年部の研究事業でパソコン通信をやり、ASA−NET委員会を作ることになりました。 いまは青年部会は卒業しましたが青年部会推薦の常務理事を1年、理事会推薦の常務理事にかわり2年目、計3年間常務理事をやっています。 その前に平理事を4年、青年部長で理事を2年やってますので、理事会に連続9年も出ています。かなりの古顔になってしまいましたがまだ43才です。 編集委員長の大役を務めて3年になります。このたびA4版にグレードアップするのでてんてこ舞いでした。これを機に委員長に誰がなっても出来るシステムを構築しようと頑張っています。そうすれば誰かに……と思っていますが甘いですかね。 愛知の建築を毎月発行することはとても大変です。例えば今が4月なら5月号の校正をチェックしながら6月号の原稿を集め7月号の計画をするという具合です。それが無報酬ですからたまりません。 またASA−NET委員会ではインターネットホームページ開設を準備中です。半田支部のページも割り当てられます。期待していただくと共にご協力をお願いします。
住宅都市委員会出向について 古くは建築マップ作りや、講演会、「私の好きな町並町角」写真コンテストなども行いました。 最近ではまちづくりを主にして、「建築士がいかにまちづくりにかかわっていくか」をテーマに、現実的実践的手法などの研修や、実例の見学会などを行っています。 これは、単なる勉強会ではなく、職能(仕事)としてまちづくりに参加することを目指しています。行政やコンサルタント主導のまちづくりと一味違った、地域の建築士が住民として考えるまちづくりのようなものを実現するための布石です。 もちろん、委員会として現実に仕事を受けるのは、いろいろ無理もあります。当面は、会員の方々がそのような状況になったときにバックアップ出来るように、資料や情報の収集をし、また、会員の方に参加していただける研修会を企画しています。 近年では、神戸市へ行った「震災復興から学ぶまちづくり」や、当半田支部で開催された「半田市まちづくり研修会」や、「西尾のまちづくり研修会」など、一般会員の方も多数参加され、たいへん好評でした。 研修会の案内と報告は「愛知の建築」に載せています。半田市でのまちづくり研修会の報告(97年4月号)は、小生が拙文を書きました。支部活動の一端もうかがえると思いますので、一度お読みいただければ幸いです。 発刊にあたり 支部長 永田創一 私は支部長を仰せつかってから、430余名の支部会員相互の情報交換の手段として支部だよりが出せないかなあと、ずっと想っておりました。 このたび広報委員会のメンバーのご協力により、第一号を発刊できたことは、支部の45周年を支えてきて下さった先輩たちに、やっと少し報いることができたかなあと感じているところです。 知多半島5市5町をテリトリーとする我が支部では、なかなか会員相互のふれあいが出来ませんが、これを機に、少しでも多くの会員の意見や想いが、伝わっていけばいいなと思っております。支部活動も年をおうごとに活発なものとなり、本会の中でも注目されている支部の一つであります。特に゛まちづくり″に関する数々の事業は行政当局にも大いにみとめられていると自負しております。 それもこれも多くのメンバーの努力のたまものでありますし、これこそが我々建築に関わっている者の使命であると考えています。これからは支部の活動をできるだけ多く皆さんに伝えるとともに、情報交換の場としてこの広報誌がつかわれていくように力を合わせてがんばっていきましょう。 |