この10年をふり返って

(社)愛知建築士会相談役 水野 洋生

はじめに
 愛知建築士会半田支部が、昭和58年4月29日創立30周年記念式典ならびに記念行事を開催してから、はや10年の歳月が経過しました。当時、半田支部長として、また実行委員長として、この記念事業を推進した私にとっては、人生の中での大きな思い出のひとつであります。
「もう10年経ったのか!」と、半田支部創立40周年記念を迎えるにあたり、今更ながら「光陰矢の如し」とはこのことだなと、時の流れの速さに感慨一入のものがあります。
 そこで、あれからの10年を振り返ってみたいと思います。

事業について
 まず30周年記念事業は、前年11月に、記念ゴルフ大会、ボーリング大会、麻雀大会を開催。式典当日は、一部より四部にわたり、特別記念講演、記念公演、記念式典、祝宴を開催。同時に記念誌『知多の建築』(B5判180頁)の発刊。会員作品展、’83「知多の建築」写真コンテスト展示会を同会場で開催し、記念品を全会員に配布。記念事業の余剰金にて、同年11月知多事務所前庭に支部創立30周年記念植樹をして記念事業を終了。事業費は計528万円。式典で、会場の愛知県半田勤労福祉会館講堂を、満場市民で埋めて記念行事が大成功裡に終えることができたのも関係各位の多大なご協力の賜物であると今に至るも感謝の念で一杯です。

 つぎに、最も大きな事業となったのは、支部創立35周年記念事業として、半田市制50周年記念事業の一環として、昭和62年10月に開催した“’87さわやかハンダ街づくりと住まいの総合展”ならびに「さわやかな住みよい街づくり」シンポジウムであります。
 これは、半田市の六大記念事業のひとつとして位置づけられた大事業でありました。これに対応するため、当支部としては、昭和59年7月11日、第一回目の準備会を開催。爾来9回の準備会を経て、他の建築関係団体の協力も得て、昭和61年4月、“’87さわやかハンダ街づくりと住まいの総合展”実行委員会を発足させました。
 実行委員長は、不肖支部長の私が就任。総務委員会、企画委員会、渉外委員会、広報委員会、シンポジウム委員会の5つの委員会に分かれて精力的に活動を開始いたしました。

 テーマとしては「さわやかな半田市の街づくり」。これは、現在私たちが生活している半田の街が果たして住みよい快適な街であるのか考えると共に、住みたくなる街づくりへの半田の将来像を想定し、21世紀へ向けてアメニティのある街づくり住まいづくりを追求して行こうと計画したものであります。

 総合展の会場は市民ホール。開催は昭和62年10月8日より11日までの4日間。ステージにテーマ展示。半田市域の航空写真を2×4メートルに拡大、この中から11ポイントを抽出して、21世紀へ向けての街づくりのあり方を提案。もちろん半田市を中心とした知多地方全体の21世紀のあるべき姿も提案。すべて影像を駆使し、ボタン操作により見たい個所が点滅ケーブルを伝わってから拡大されたイラスト図として描写されるという大変凝った演出。従ってメーンテーマ展示だけで585万円を要したほどです。

 開場式も、非常に華やかに演出され、消防音楽隊の演奏、くす玉、テープカット等もあり、コンパニオンが花を添えました。入場者はね建通新聞社の記事によると2万数千人。入場者にはB6判302頁のミニ建築知識冊子8千冊を、家族単位で無料配布。テーマ展示の提案をカラー印刷したリーフレット1万1千枚も無料配布。出展60コマ。場外2コマ。テーマ協賛121口。冊子広告144頁。アドバルーン6本。期間中ミニSL2編成を運転、チビッ子を乗せ場外周遊し、市内31台の山車勢揃いの市民まつりと相まって大成功のうちに閉幕いたしました。

 また、これに先行して10月4日、愛知県半田勤労福祉会館講堂を会場として、「さわやかな住みよい街づくりシンポジウム」が開催されました。基調公演に、NHKの木村太郎氏を招き、パネルディスカッションも、コーディネーターの久米幸一氏ほかパネラーにも人材を得て、満員の入場者に大好評を博しました。このシンポでも、資料として、テーマであった半田港を中心とした街づくりのあり方に関し、B5版62頁の冊子千部を作成。この冊子も当日品切れになるほどとなりました。このシンポジウムのまちづくり宣言は、会場の議論を踏まえて私が行ないましたが、その内容は下記の通りであります。

第一 衣浦港の整備と、快適なシーサイドタウンの建設を通じ、21世紀をめざし、50万人都市としての大半田市をつくろう。
第二 あらゆる面で快適な街、国内はもとより外国の人からも住んでみたい町、文化あふれる街としての大半田市をつくろう。
第三 市民みんなで知恵をしぼり、行動をもって、行政とともに、夢のある街、アメニティある街、大半田市をつくろう。
 右、宣言する。と、いうものでありました。

 因みに、この記念事業の決算収入は1750万円。支出1641万円。剰余金の中で市民ホール前庭にミニ庭園を寄贈し、残余金は継承事業である「さわやかハンダ街づくり委員会」の活動資金として運用することにいたしました。

 半田支部は、以上のような特別事業を遂行しながら、通常事業にも従前以上に力を尽し、年間、一泊研修見学会二回、日帰り研修見学会を三、四回行い、建築設備講習会も毎週二回づつ、五週連続のものを、二年間続けて開催。もちろん、法令講習会や親睦事業としての支部内対抗ソフトボール大会、ボーリング大会、新年互礼会、総会後の懇親会等多種にわたり実施してまいりました。支部名簿も毎年発行いたしました。

 このことは、私の6年間の在任中ばかりでなく、後任の杉浦護支部長、大岩武久現支部長と連綿と受け継がれ、斬新な内容の研修見学会、研修会、親睦事業が実施され、活性化された支部の代表格としての半田支部は位置づけられております。
 特に、本会と共同して行った“ごんぎつねのふる里創生事業、新美南吉記念館公開設計競技”の計画と実施にあたり、特別委員会の中核実施部隊としての半田支部の役員各位のご尽力は、全国からの応募421点として実を結び、応募点数国内第二位の成績は、特筆すべき大功績といえます。

 つぎに、このたびの半田市都市景観賞の設定は、半田市と共催というものの、名称をかりたにすぎず、費用はすべて支部にて支弁。現今、公共団体主催、主導の多い都市景観事業の中で、一支部が提言し、金は出すからと当局を説得しての事業は、愛知県内はおろか、全国でも半田支部だけではないかと思われ、この意味では快哉を叫びたいと思います。

会勢について
 半田支部の会員は、現在426名。10年前に比べ格別増加した訳ではありません。しかし、この間新旧交替が進み、大いに若返りが進行していることは、一面では喜びでもあります。特に、役員の平均年齢は、20歳近く若くなったのではないでしょうか。それだけに、実行力に富んだ精鋭部隊といえます。

まちづくりについて
 半田支部は、知多半島五市五町の会員で構成され、県の行政地域と合致しております。県としても、市町にしても建築行政上は非常に対応がしやすい所だと、従来から言われております。それなるが故に、支部としても街づくり行政への協力が容易であり、会員の声もよく反映されます。事業の中でも、兎角会員の多い半田市におけるものが多かったのでありますが、東海市におけるホープ計画への参加要請にも、即刻対応いたしました。他の市町からの協力要請にも、推協知多支部と同会員なので、支部あげての協力態勢は常に整っております。「ちた」はひとつの意識は支部役員、会員皆に根づいているものと信じております。快適な街づくりのため、市民や市町の多様化・高度化したニーズにも対応できるような技術と能力を、この十年間で充分会員は習得したものと私は受けとめています。

おわりに
 この十年間の支部の歩みをふり返ってみましたが、前述のように若い力の台頭著しく、心強い限りであります。智力、実行力溢れる役員、会員が、時代の変遷につれ、逞しく成長している姿にふれ、まことに欣快に堪えません。
 日新月歩の建築技術について、常に会員相互で切磋琢磨して、自己啓発に励み、建築士の地位向上と建築士会の発展に尽力し、地域社会への貢献に努力されますよう、満腔の意をこめて切望いたします。


この文は、1983年発行の(社)愛知建築士会半田支部 創立30周年記念誌「ちたの建築」誌より転載したものです。